プロフィール

海パパ
海パパ

はじめまして、海パパです。

青い海に憧れて、22歳から34歳まで南国暮らしをしていました。

過ごした場所はタイ(6年ちょっと)、オーストラリア(ワーホリで1年弱)、石垣島(5年弱)ぐらいです。

どこも刺激があって楽しかったですが、語学が苦手でシャイボーイだったので各地で苦労しました(笑) 

各地で沢山の人たちに助けてもらいましたね。ホント感謝感謝です

現在は家族4人で故郷の滋賀に住んでいます

石垣島での暮らし

石垣 平久保灯台

石垣島ではウエットスーツ着て原付バイクで魚突きに出かけたり、冬場は夜中の12時、1時に潮の引いたビーチで獲物取ったり、川に手長エビ捕まえにいったりと、島の遊びをいっぱい教えてもらって楽しんでました。

自然いっぱい、動物いっぱいで家から歩いて2分で牛とヤギ、10分でブタと馬が見れる、15分でビーチ!

お家のベランダから青い海が見えて、夜空がキレイでサイコーって思っていましたが

可愛い娘たちが出来て、生活が段々と一般化していくと島での生活がちょっとずつ変わり始めました

夏は暑すぎて公園の遊具で遊べない。気温の暑さも勿論ですが、遊具が熱い!おしりが焼けちゃう!

雨の日にちっちゃい子を連れて遊べる場所が限られいて、とても混雑している

物価の高さと収入の比率が合わない。。

どこで住んでいてもメリット、デメリットはあるんで、なんとも言えませんが、2人目の娘ができて引っ越しを考えていたのと、仕事も辞めようと思っていたのもあったので、妻に

海パパ
海パパ

本州の寂れた漁師町に引っ越そう!

っと提案するも即却下され、滋賀に戻ることに

ちなみに石垣でやっていたお仕事はダイビングインストラクター(タイの時から10年)、空港のグランドハンドリング(飛行機の荷物の積み下ろしなど)、最後が海洋土木(港の工事など海に入っての作業)です。

石垣の海をいっぱい潜れたし、オスプレイも間近で見れたし、パイナップルもいっぱい食べたし満足のいく島ライフでした

そしてUターン移住で滋賀県へ

35歳を手前にして家族4人で実家に転がり込みました

まずは職探しなんですが、折角、日本一の琵琶湖があるので琵琶湖漁師にエントリー。

3日間の体験漁師をやらしてもらえることに

しじみ漁投網の投げ方など良い体験でした。しかし、私の実家は滋賀の南側で専業漁師になろうと思うなら北湖の方じゃないと食べていけないと言われ、しかも2年は修行が必要との事。

単身で行って勉強させてもらおうかと真剣に考えたのですが、家族や金銭的なことを考えるとやっぱり今の自分の状況では厳しいと思い諦めました。

父親の骨董品を売ったりして食いつないで、今は木材加工のお仕事に就き、木材市場で原木を購入したり、ベンチや東屋造る職人のお手伝いをしたりしています。

お家を購入

石垣の時も賃貸でしたが庭付きのお家でした。

お庭の桑の実でジャムをつくったり、島唐辛子アロエベラを育てて食べたり、ちょっと庭を放置するとあっという間にジャングルのようになる気候で奇跡の木モリンガも植えたらすぐに自分の身長より大きく成長しました。

虫や鳥たちも沢山くるワクワクする庭でした。

滋賀での生活も少し落ち着いてきたころから物件見学に行くようになり、6件目にして今のお家に出会い購入を決意しました。

広いお庭のある素敵な平屋のお家です。

2年目から庭造りスタート

1年目は様子見で庭いじりは殆どしなかったのですが、何も植わってないと思ってた所からミョウガがいっぱい出てきたり、大葉が木の周りを覆いつくしたり、お花がキレイに咲き乱れたりしました。

2年目に何も植わってないエリアの花壇を撤去し、自分たちで芝を張ったりし始めてお庭造りをスタートさせました。

こんな感じがいいなぁっとやってみるもイメージ通りにいかない事の方が多いです。

試行錯誤と失敗を繰り返して、ちょっとずつお庭を素敵できたらいいなと思ってます。

ハリネズミの『ハナミちゃん』も紹介しているので良かったら読んでみて下さい。

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